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 前原農園がある、福地と、狐が丘の由来。
 「福山町郷土史」参照して、私の息子が調べました。

 

 

 

 


 福山野牧のおこり

1561年、廻城の争奪戦で、島津家の手に帰した廻村は1574年に島津義久が自ら巡視に訪れ1578年に鹿屋高牧地から別当4人、馬100頭を合戦野に移し放牧させた。
牧は合戦野を中心に13里にもおよび、これが福山野牧の起こりである。 


 合戦野の地名について

合戦野とは、1561年に肝付勢がここに敗走してきて追ってくる島津軍と一戦交えたためついた地名


 福山野牧の衰退

福山野牧はいちじるしく栄え、一時は馬の数千八百頭を数え藩内産馬の三分の一を占めるに至った。
たまたま1779年桜島の大噴火が起こり、牧場は壊滅寸前の状態におかれた。牧場の馬の死傷は千頭に及んだ。 
そこで、第二十五代藩主島津重豪は、同九年、合戦野南原以南およそ周囲三里の牧場を廃止し、この旧牧地に牛根・都城士三十戸、牛根農民八十戸を強制移住させ地方検者町田勘兵衛指揮の下開田開畑に着手した。
こうして牛根被災者をこの地に移して救済の策としたのであるが、ボラ地帯の開田は他の荒れ地を切り開くよりも、想像以上に困難だった。
 


 歴史背景

1467年、京都で応仁の乱が始まる。
1479年、日本各地で土一揆がさかんにおきる。
1482年、足利義政が銀閣寺を建てる。
1488年、加賀の一向一揆が起きる。
1495年、北条早雲が、小田原城を奪う。
1517年、ルターが宗教改革を始める。
1543年、種子島にポルトガル人によって鉄砲が伝わる。
1549年、ザビエルが鹿児島に上陸する。
1560年、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を破る。
1573年、織田信長が足利義昭を追放し室町幕府が滅びる。
1575年、織田信長、長篠で武田勝頼を破る。
1582年、本能寺の変で信長自害。
1587年、秀吉が九州を平定。

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